無駄づくりクラブ 26年3月号
おかあさん! あたし、無駄なものちゃんと作ってる!
無駄づくりの進捗を報告し、藤原麻里菜が最近やっている(無駄な)ことを語るクラブ無駄づくりクラブの26年3月号です。
制作中:
・小顔ローラーにトランスフォームするミニカー
子供が遊べるおもちゃが母もつかえるものにトランスフォームしたらおもしろいよね。と思ったので、ミニカーのタイヤの部分がポップアップして小顔ローラーになるアイテムを設計しています。ばねをつかわずに、ゴムでなんとかできないかなあといろいろ調べて、自分なりに機構をつくった。あたし、こういうこともできるようになったよ。おかあさん、あたし、立派な大人になったよ!
・アンパンマンパソコンをつかえるパソコンに改造
ずいぶん前にメルカリでアンパンマンパソコンを購入したのですが、それをついに分解してみた。基板を見たら、このコードを直接Arduinoというマイコンにつなげたらキーボードとして入力デバイスにできそうなのでなんとなく暇な時間を見つけてプロジェクトを進めています。
・FUCK YOU しか打てないキーボード
去年の展示で限定で販売していたものをちゃんと基板を作ってアートピースではなく製品として量産できるように設計しなおしました。以前はアート作品だったのでその分手間がかかったため申し訳ないくらい高価格帯だったけれど、少しだけ値段が抑えられそう。来月販売するから、ぜひ気になったら買ってほしいです。5月病になる手前くらいにお届けできるから。販売開始したらみんなにメールおくります。
公開中:
出産に伴って、産むことや母になることについてエッセイを書きました。パブリックに読めるものしたくなかったので有料(300円…)に設定したのですが、けっこうたくさんの方が読んでくれて、この売り上げで庭に芝生を敷こうと思っております。そこで娘(と飼ってる亀のエビ太郎)を遊ばせるのだ。私はちゃんと母親でえらい。
仕事があんまりない(こわい!)ので、時間に余裕ができて久しぶりにECストアを公開しました。書籍やグッズが売っています。
春のキャンペーンということで、今買うと、無駄づくりロゴのラベルシール(テプラ)がついてきます。1つにつき1枚。
夫がデザインしてくれたロゴで、めちゃくちゃかわええのでぜひこの機会にゲットいただけますとうれしいです。
最近のハマり・考えていること
・いかに育児を楽しくするか
娘はまだ生後1ヶ月なので、なんにも言葉が通じません。それはつまらないことでもあれば、おもしろいことでもあります。ことあるごとに娘に話しかけまくり、娘のちょっとした顔の変化でコミュニケーションをとっています。娘は私の話を理解していなくて、私は娘の表情を勝手に解釈しています。まったく間違ったコミュニケーションだが、それがたのしい。(もし、完全にわたしが間違ったことをしていたら、娘はギャン泣きで違うことを教えてくれます)。
小さきころのわたしが、あまりにも娘に似ている。
・つくるリハビリ
夏に出版予定の書籍「つくるリハビリ(仮)」のゲラが届きました。鬱になっちゃって作れなくなったわたしが、どうにかこうにかいい状態に心身を持っていき、作ることや自己表現、価値なんかと向き合った過程をまとめた本です。おもしろいとおもうけれど、このままでは少し内省的すぎて、読ませる内容ではない気がしたので、みんなが軽く読めるように整えることに。はやく出版したい!
・お庭を整えたい
庭のある中古の家を買ったのだが、売主が私たちに受け渡す前にいろいろリフォームしてくれるとのことで水回りもフローリングも壁も、すべて綺麗になって渡ってきた。が、なぜか庭にあったすてきな木や植物がすべて伐採されていました。さびしい庭を見て、わたしが1からここをきれいな庭にしてやるぞと決意し、庭に埋まっていた大きな石をすべてひっぺがし、土をならして芝生を敷き、秋になったら植物を植えることにします。あたしがんばるわ。
・バタイユのアセファル
急に怖い画像のせちゃってごめんなさい。これは、ジョルジュバタイユが結成した秘密結社アセファルのシンボルマークの頭のない人です。バタイユという社会学者/思想家は、「呪われた部分」という著書のなかで、「人間は太陽からのエネルギーによって活動していて、そのエネルギーはどうしても余ってしまう。それをどうやって蕩尽するかが経済なのである」ということを言っているような気がして、私は「確かにそういわれたらそういう気がしてくるかもしれないし、そう言われなかったらそういう気はしてこないなあ」と思っています。バタイユは、余剰をいかに無駄に消費するかが重要で、もし適切に消費されなかったらそれは戦争を引き起こすという論理を持っているのですが、最近の世界情勢を見て、ぼんやりとバタイユに思いを馳せています。で、バタイユの弟分みたいなかんじで、ロジェ・カイヨワという人物もいて、彼は「遊びと人間」という遊びについて真剣に考えた変な人なんですが、第二次世界大戦が終わったあと、彼はユネスコに勤め、「戦争論」という社会学的に戦争を考えた著書を出しています。この戦争論がNHKの100分de名著シリーズになっていたので、最近はそれを読んでいます。いかに戦争が暴力的で愚かな行為かが理解できます。
で、最初のアセファルという秘密結社の無頭人なのですが、バタイユは「頭でかんがえるなー」という感じのことを言っていることが多く、それは理性ではない部分に自分がいると信じているからなんですね。アセファルの機関誌に寄せられたエッセーがネットにあったのでClaudeに翻訳してもらって読んでみました。
「人間は牢獄から囚人が逃れるように、自分の頭から逃れた。
自分自身の彼方に、神——犯罪の禁止——ではなく、その禁止を知らない存在を見出した。私である自分の彼方に、頭がないために私を笑わせ、無垢と犯罪でできているために私を不安で満たす存在に出会う。左手に鉄の武器を、右手に聖心に似た炎を持っている。一つの噴出の中に誕生と死を統合している。それは人間ではない。神でもない。私ではないが、私よりも私である。その腹は彼自身が迷い込んだ迷宮であり、私を彼とともに迷わせ、その中で私は彼として——すなわち怪物として——自分を再び見出す。」
ほんとにごめんだけど、ぜんぶ聞き取れたのにーって感じで、まったく理解できなかったです。以下、Claudeの解説
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この段落はテキスト全体の中でも最も詩的で密度が高い部分です。順番に解きほぐすと:
「人間は頭から逃れた」
「頭」=理性・主権・自己同一性の象徴です。近代的な人間は「考える主体」として自分を頭で定義してきたが、その頭を捨てることで初めて別の存在様式に到達できる、という宣言です。
「神ではなく、禁止を知らない存在」
神は「してはいけない」の源泉です。バタイユが見出したいのはその外部にある何か——善悪の彼岸にある存在で、これはニーチェの影響が直接出ています。
「無垢と犯罪でできている」
矛盾を統合したままの存在、ということです。人間の理性は物事を善/悪、聖/俗に分類しますが、アセファルはその分類以前の状態にある。だから「無垢」でありながら「犯罪」でもある。
「私ではないが、私よりも私である」
これが一番難解な部分です。自我(頭で構成された「私」)よりも深いところにある何か、という意味です。自我を脱ぎ捨てた後に残る、あるいは現れる存在。仏教的な無我の概念に近い感触もありますが、バタイユの場合はもっと暴力的・エロティックです。
「腹は迷宮」
頭が秩序・地図・論理だとすると、腹(内臓)は混沌・迷路です。アセファルの図像でも腹部に蛇が描かれています。自己を失いながら自己を再発見する場所として「腹」が使われています。
「私は彼として——すなわち怪物として——自分を再び見出す」
結論です。頭を捨てて迷宮に迷い込んだ先で、「私」は怪物として再誕する。これはネガティブな意味ではなく、分類不能な存在になることを肯定しています。
まとめると、この段落全体が**「理性的な自己を解体した先に現れる、もう一つの自己との出会い」**を描いています。それはコントロール可能な神でも人間でもなく、生と死、無垢と罪を同時に含んだ怪物的な何かです。
ということでした。みんなはわかった? わたしはうっすらわかるきもするけど、わからないといえばわからないので、とりあえずそのまま、放置することにしました。
3月もおつかれ! もう半袖でもいいね。






